こんなに便利で、こんなに清潔で、こんなに物が溢れているのに、なぜ人間は争い、悩むか、その1

こんなに便利で、こんなに清潔で、

こんなに物が溢れているのに

なぜ、人間が争うか、なぜ人間は悩むか、というと、

人間の自我の問題が解決されない限り、それは

永遠に続くと、私は考えます。

人間の自我とは、

頭の中を去来する自分の自意識で、

自分と●自分以外の外的世界に反応し、対立し、

その中から

●自分の立ち位置や生き方の「答え」をみつけようとする

脳の機能です。

それは残念なことに、無意識の中にその立ち位置があり、

自覚できないために、自分が振り回されるのです・・・苦笑!

例えば他者と会った瞬間に

自我は無意識に自分の立ち位置に立ち

相手と向き合います。

自分より、相手が下だと瞬間的に判断すると、

どこか相手を見下すような立ち位置に立ち、

なんとなく、上から目線で、相手と応対します。

逆に相手が自分より上だと瞬間的に判断すると、

警戒したり、或いはへりくだったり、

逆に自分を大きく見せようとしたり、

また尊敬の念を表したりします。

人間の脳は、瞬間的に、他者の自我との対立関係を作り出すのです。

その対立関係は、たくさんの人と出会い、たくさんの苦労をしたり、

失敗、挫折や、自分にはないものを持っている人にであったりして、

鍛錬され、磨かれ、深い人間洞察へと成熟していきます。

つまりそういう社会経験がとても重要なのです。

経験値や社会知が豊富になると、

深い人間洞察が生まれ、

自分の感情を客観的に眺める訓練ができていきます。

逆に自分を制限したり、引きこもって、他者を警戒し、失敗や挫折を回避して、

自己防衛ばかりを図ると

自我は、幼稚なまま成長せず、

人間や社会に対する洞察が単純になり、

さらに主観が支配したままで、理性が鍛えられず、

感情が短絡してしまいます。

私が危惧するのは、

社会が便利で、清潔で、物が豊かになればなるほど、

人間の経験値や、社会知が奪われることです。

つまり、それほど苦労しなくても、便利で豊かにものが手に入り、

さらにIT社会では、自分が経験すらしていないのに、

情報や知識が手に入り

疑似経験の錯覚に陥ることです。

またAIテクノロジー社会になると更に

人間の経験値が奪われます。

自分の脳がどういう立ち位置にいるかを知るには、

自分を突き放して、自分の心理をよ~く観察することです。

日頃の自分は、どのように他人に接し、

自分以外の人間に対して、どのような価値観を用いて

見ているか・・・。

そのとき、自分の立ち位置にハッと気づくことができたら

サイコー、ね!!

よかったらシェアしてね!

この記事を書いた人

作家。映画プロデューサー
書籍
「原色の女: もうひとつの『智恵子抄』」
「拝啓 宮澤賢治さま: 不安の中のあなたへ」
映画
「どこかに美しい村はないか~幻想の村遠野・児玉房子ガラス絵の世界より~」

コメント

コメントする

目次
閉じる