2024年3月– date –
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遠野の皆さまへ。その2
遠野の皆様へ、その2 映画「どこかに美しい村はないか」 〜幻想の村・児玉房子ガラス絵の世界より〜の 予告編です。 これも遠野の良さが溢れる能勢監督の秀作です。 ロケ中遠野の美しさの中で何度も陶酔し、感動しました。 https://www.youtube.com/watch?... -
遠野の皆様へ
昨日は、映画「ぼくの稲作は未来に向かって進む」と「どこかに美しい村はないか」〜児玉房子ガラス絵の世界より〜をご覧いただき、 ありがとうございました。 この美しい遠野を囲む山々,田園、そして突き抜ける青い空は、 遠野だけではなく、日本の、さら... -
エッセイその10、小さながま口
たくさんお金が入っているわけじゃないけれど、 財布を持って歩くのがかったるくなったので、 財布をやめてカードで支払いにしました。 でも時に小銭が必要なので、 小銭を入れる小さながま口をかいました。 娘とお揃いで買いました。 彼女は赤,私は薄緑... -
エッセイその9、脳科学から見た外交とは。
先日BSの番組で佐藤優氏と手島龍一氏が日本の外交について話していた。 それを聞いた私は、外交とはつくづく脳地図の話だなぁと思った次第です。 人間はひとりひとりが独特の脳世界を持っている 私はそれを各自の脳地図と表現している。 同じように世界の... -
エッセイその8 片隅を照らす。
「片隅を照らす」は最澄さんの言葉です。 いーい言葉だね〜。 私も何処かほんの少し何かを照らせれば、 自分が生きている意味があるような気がする。 ただ片隅ってそれは何処の誰を指しているのだろうか。 なんだかそれは傷ついている誰かかもしれないし、... -
エッセイその7、 人はみな寂しい。
人は寂しい、私も寂しい。 だからそれを前提に生きる。 寂しいから人と会うとちょっとだけ嬉しい。 寂しい自分を抱え込んで肘掛け椅子に座り込む。 寂しさは鉛のようになってそれを抱えたまま、 深く深く眠りの中へ堕ちてゆく。 残念なことに自分の寂しさ... -
エッセイその6、『江藤淳はいかに「戦後」と闘ったのか』を読み終えて。
この数十年心を掴まれた文学作品にはなかなか出会えなかった。 今回風元正著『江藤淳はいかに「戦後」と闘ったのか』(中央公論社)を読み終え、 江藤淳を追想しながら私の中に燻っていた文学への思いが少し解消した。 江藤淳のことは先生という尊称で呼びた... -
エッセイその5、生々しく生きる。 人間は指を切った血がでる。 それは生温かい血で、 人間が生身で生きているという証拠です。 だから傷ついたら心の血がでて時に止まらない。 でも,それこそが自分が生きている証なんです。 私達はロボットでもなく機械で...
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おばあちゃんの菜根譚エッセイその4 タコ社長の遺言!
「葬式無用。弔問供物辞すること。生者は死者のため煩わさるべからず。平成9年2月26日 太宰久雄」 これは映画「男はつらいよ」のフーテンの寅さんの実家のだんご屋の隣りで印刷工場をやっている、 タコ社長を演じた太宰久雄さんの遺言です。 素敵ですねー... -
エッセイその3、人生は迷路のようであった!
もうすぐ77歳になるが、 振り返ればなーもわからないままオボコ?の私がこの俗世を、 よく生きてきたなあと思う。 答えも手がかりもない中、 手探りで五里霧中、試行錯誤の失敗だらけで、 頭をぶつけては痛い思いをし、 沈没しては浮かび上がり、 感情のエ...