本日ご紹介する本は、24年前
立花隆さんが東大駒場で、講義したことを記した本です。
宇宙の起源から、生物の起源、さらに人間の起源とその未来について、
宇宙物理学、分子生物学、そして人間の進化、脳科学、PCの世界、
さらに哲学、文学、宗教、歴史、社会など、文系、理系の、あらゆる領域を網羅しながら、
「人間の現在」を講義しています。
ただ、24年前なので、当時に比べ、現代の物理学の知識と先端科学とテクノノロジーは、もっと進化しています。
特に人間社会の進化については、予想されうることの現実化が進みつつあります。
なぜこの本をお勧めするかというと、
私が映画「どこかに美しい村はないか」を作らねば、と直感した、そのその根底にある、
私の頭の中を駆け巡る、●もろもろのことがすべて、
ここに書かれているからです。
私の脳の中でうずまき、その直感の根底に見えている
大きな、説明しがたいスケールにおける「人間の現在」を、
立花さんがとても分かりやすく講義されているのです。
実は、映画「どこかに美しい村はないか」はほんとうは、難解な映画なのですよ、と以前に書きました。
それは、AIテクノロジー社会への警鐘でもあり、
これから起こりうる現実として、人間は、どこへ行こうとしているのか?に対する、
一つのテーゼとして作りました。
人間社会がより高次な世界を築いていくために、或いは、
人間が本当に幸せになるためには、
科学技術の発達による●マイナス面をも検証し、
現在の文明と文化の妥当性を、厳しく精査しなければならない。
そして今は、もう、人間の未来を分岐しかねない、そういう曲がり角に来ているのだという事です。
今を極点にして、人間は、どう進化したらいいのかが、問われている。
AIテクノロジー社会のもっと進捗したところに見え隠れするクローン人間の生産や、
さらに化学物質まみれの医薬、食料。
知能別の格差社会と階級社会。
さらに生命と死まで人間の手でコントロールしようとするそれは、果たして
人間の幸せになるのかどうか。
あゝ、人間にとって大切なものが、どんどん踏みつぶされていく、と私は、思いました。
そして特に脳の観点から見ると、
体験や経験を奪われ、身体からの情報入力を疎外される人間の脳は、
脳が劣化していく危機がある、と思いました。
もしかしたら、人間は、退化の方へ向かっているかも、しれないのです。
今の社会はインプットばかりで、そのアウトプットを奪われているとも思いました。
脳内のエントロピーが増大するばかりで、出口が塞がれている。
それは、いつから破綻します。
講義の後半を著した「サピエンスの未来」~伝説の東大講義~の最後に立花さんが書いておられるように、
『世界の観照、世界の解釈がまず正しくなされないことには、 世界の変革は不可能です。
それなしの変革は、盲目的になり、エントロピー増大の方向に向かうだけです。
それは進化ではなく、退化です。』
今人間は、ありとあらゆる観点から、高い知性と知識を以て世界を観照しなければならない。
その一歩として、立花氏のこの講義録があると、私は思うのです。
人間は、賢くならなければならないのです。
真に人間とはなにか、
人間はどのように生きのびたらいいかと私が思惟に陥っているその時、
たまたま遠野で児玉房子さんのガラス絵をみて、
そこに茨木のり子さんの詩をリンクさせながら、
美しい遠野の田園風景の真っただ中で、直観したのです。
もう、消えてしまうかもしれない、人間と自然の風景を今、撮っておかねば、と
直観したのです。
人間はその文明の進化の代償として、
殺伐とした科学文明に包囲されてしまうかもしれない、
その時、危機や不安を訴えるのではなく、
アナログではあるけれど人間は、こんなに素敵に生きていたんだよ、と伝えたい。
そういう映画を作ろう!と。
穏やかで、温かい人間の生き方を、
その美しい映像とガラス絵と詩と音楽で、包み込みながら伝えたいと思い、
作りました。宇宙とは、人間とは、文明とは文化とは、何か。
大きな「知」の世界を、読んでいただけたら幸いです。


尚、初めに、アインシュタインの相対性理論を読んでおかれると、更に理解が深まると思います。

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