今人間は、ありとあらゆる観点から、高い知性と知識を以て世界を観照しなければならない。
それはビックバン以来の宇宙史とこれまでの人類の進化の歴史とを視野に入れながら、
その高い知性の見識を以て、今の現実を厳しく検証する必要があると、私は考えます。
現代のサイエンスとテクノノロジー社会は、本当に人間を幸福にするのかどうか?をです。
今、人間と人間社会は大きな岐路に来ている。
それはこのままAIテクノロジー社会を突っ走るのか、
それとも、科学を検証し、テクノノロジー社会を検証し、それらを総ざらいして洗い直し、
第三の進化の道を模索するかの、大きな分岐点に来ていると、私は考える。
私は齢、74歳を迎え、ようやく人間とは何か、世界とはなにかの全貌が少し見えてきたように思う。
それは広大な宇宙時間の物理とその定理の中に人間の歴史と生物活動があること。
そして体は生物の世界であり、脳は物理の世界であり、
その二つが双方向に影響し合いながら、生命のエネルギーを作り出し、人間は生きているということ。
人間は物質であり、物質は=エネルギーであり、エネルギー=物質であり、
私たちは身体を通して自分のエネルギーを生きているのです。
だからエネルギーが収束したら死がおきます。
また私たちは脳の中の記憶という大きな倉庫に蓄積したデーターを使いまわしながら、
どのように生きるかを常に模索しながら生きています。
ちなみに記憶は意識と、前意識を含めた無意識という二つの空間を持ち、
それらが外からの刺戟と、内部、内省からの刺戟を受け、
●「解」を探し出しながら、その時、その時、どうすればいいかを、
探しだしている。
ただ、宇宙にも始まりと終わりがあり、その超ミニ版というように人間も誕生と死があるのです。
誕生からエネルギーは拡張へと向かい、ある時からそれは終息へと向かいます。
人間も、どういう風に人生を終息(エネルギーの収束)させていくかが、問題であり、
それについてこそ、人間が獲得した脳の前頭葉の働きである「考察する」ということ、
それによる「知、気づき」とその大成である「知性」が大切なのです。
ただ、今私たちは、自分の脳で考える、ということが、
どうも退行してきているように思います。
特に、日本の教育は、知識を押詰めることはやっても、考えさせる、ということを
おろそかにしてしまいました。
そして考える、答え(解)を出すことの根底には、
経験や体験という事がとても重要であるにもかかわらず。それさえも奪ってきた、というのが、
日本の教育の現状です。
インプットばかりやりアウトプットがおろそかにされてしまった結果、
知識と行動が短絡し、脳の劣化が起きている、というのが
今の日本人の現状ではないか、と、私は思います。
時代は圧倒的に、AIテクノロジー社会へと突き進むでしょう。
しかし、その時いったい、人間はどうなるのか。
大事なことは、私たちは
●脳の前頭葉を鍛え、人間の幸福とはなにか、
翻って、人間社会が滅びないようにするには何をどうしたらいいかを、
考える時期に今はもう、来ているのではないかと私は思います。
その一つのヒントとして映画「どこかに美しい村はないか」~幻想の村遠野・児玉房子ガラス絵の世界より~を作りました。


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